荒れる10代〜暴走族の少年少女との対話

暴走族のたまり場になる。

退職金をつぎ込み、融資も受け、ようやく持てた私たち夫婦の城。

1軒のコンビニエンスストアが私の新しいステージだった。

「大きくとも小さくとも、基本は同じ。

目の前のお客様を大切にすることには変わりない。

流通畑でやってきたことを生かしきろう」

と日々接客に励んでいた。

 

私のお店があった場所は、コンビニ激戦区ではあったが

一国一城の主として、妻とともに「いらしゃいませ」と

声を弾ませる毎日だった。


しかし、オープンして1年経った頃

私たちの声がつい曇ってしまうようなことが起きた。

暴走族が店の前にたむろして、あげくのはてに駐車場にゴミを捨てる。

 

まだあどけない15歳から18歳ぐらいの非行少年・少女達。

しかし、若さゆえの暴走がひとたび社会に牙を剥くと

もう歯止めが利かないのだ。

 

国道沿いにあり、駐車場も広い店は

彼らにとって、絶好のたまり場だった。


特攻服を着て、20~30台のバイクで走り回る。

店の前をたまりばにされただけではない。

彼らは店内に押し入り、まるで我が家であるかのように

商品を持ち去って行く。

 

集団万引き、ゴミ捨て場」と化した

私たちの店。

 

くやしい。悲しい。情けない。

胸の底から突き上げる怒りをどうすればいいのか。

 

最初は、警察を呼んだこともある。

追い払ってもらい、彼らは一時的には去る。

その様子を見ながら、私も彼らを蔑視したような態度をとっていた。

 

すると彼らはますます逆上するのだ。

バイクで取り囲む、おもちゃの鉄砲玉を窓から撃ってくる、食べ散らかす。

盗んできたと思われるバイクを改造して

近くのカラオケ店と行き来しながら朝まで騒ぎまくる。

いくらきれいにしても、すぐに周囲2~300mがゴミ捨て場と化す。

 

暴走族メンバーの名前を覚える。

 

そのうち、彼らの話を聞いていて

名前も覚えてしまうほど、日常化していった。

 

●誠(たかし:仮名)

知能犯で超ワル。一人で何食わぬ顔してやってくる。

外でバイクを待たせておいて

隙をみてカゴの商品をそのまま持ち去る。

睨むとつっかかってくる特攻非行少年。

 

●鷹(たか:仮名)

鉄製バールを担いで店内に入り

カップラーメンを全部倒して嫌がらせをしていく。

商品を破損しないから たいした罪にならないと読んでいるのだ。

 

●弘美(ひろみ:仮名)

バイクの運転を誤って、入り口ドアをぶち壊した非行少女。

 

●雅(まさ:仮名)

店員の万引き誤認を誘い、言いがかりをつけてくる非行少年。

 

●翔(しょう:仮名)

京都の暴走族Gの中の大番長。

17歳で180cmを超える屈強な体は迫力がある。

全身刺青をしており、真冬に特攻服を着て、

上半身はだかで先頭を暴走するボス的存在。

等々総勢約20数名。

 

翔が来るようになると、さらに状況は悪化。

彼らの悪さはエスカレートし、

もはや手のつけようがなかった。

 

 

 

対話を模索する。

やがて私は、警察、警備会社、本部等他人依存していてはだめだ、

自分で解決しなければどうにもならんなあと、と思うようになった。

それも「彼らのボスと平和的解決をするしかないな」と思い始めた。

 

なぜ?自分達夫婦が丸裸になってやり始めた店だからだ。


まず、彼らに対して威圧的な態度をとるのをやめた。

できるだけニコニコすることを心がけた。

彼らが来ると自分の仕事をやめ、

外へ出て、ゴミを掃きながら、

彼らと喋り、なるべく一緒にいるようにした。

 

「近所に迷惑かかるから 騒がんようにせいよ」と

極力おだやかに。

 

しかし、それでも毎日

明け方は周囲300mのゴミ拾い掃除・・・

掃いている横で唾を吐かれる。

わざとまたゴミを捨てて

私を怒らせようとしている。


そんなことだから、コンビニ本来の仕事はままならない。

彼らが帰る朝まで手付かず状態だ。

そんな状態が約2年間。

深夜に彼等と接する日々が続いていた。


友人、元会社の同僚からは

「何してんの?かまわないでほっとけや。

そんなこと お前の仕事と違うやろ。

アホちゃうか?コンビニなんてやめたら・・・」

とも言われた。

周囲に嘲笑もされた。

 

「俺って なにしてるねんやろう?40歳の働き盛りに・・・」

「そんなこと言ったって簡単にやめられるかいな。

夫婦で裸一貫になってやりはじめたのに・・」

 

自問自答の日々が続いた・・・

 

1年が過ぎ、少しつ変化が起きてきた。


私が駐車場の掃除をしながらゴミを集めていた時のこと。

彼らのなかで話しかけてくる者が出てきた。


「おっちゃんの店だけやで、

俺等がきても警察呼ばない店は。なんで呼ばへんの?」


「おっちゃん ところだけやで。

毎日掃除してるのは・・・」

 

そこで私は

「一緒に掃くかい?」と言って、ホウキを用意した

 

すると、「悪いから俺も掃くわ」と

ばつが悪そうな様子ながらも、掃き始める子が出てきたのだ。


「おい、そこにもゴミ落ちてるがな?」

「それは俺が捨てたゴミちがうから拾わん。」・・・・

 

「なんでこれ 拾わんねん?」

「めちゃっ、汚いからいややっ。」

 

そして

「おっちゃん、散らかしてごめんな」

と言って帰る子も出てきた。


「俺はキミらと話がしたい」・・・

そして少しずつ対話が始まった。

 

 

語り始める若者達。

真冬のある時は、椅子代わりに

1L牛乳パックが納品される時のプラスチックケースを

駐車場の片隅に出した。

 

彼らは、おでんをつつきながら肉まんを食べながら

語り始めた。


「寒いな」

私は防寒ジャンバーを着て聴き始めた。

 

彼らはどんどん集まってきたかと思うと

親や学校の先生に対しての不義・不満を

口々に語り始めた。

その内容は、驚くような話ばかりだ。

 

おとん(おとうさんの意味)は稼いできた給料を

家にいれないでパチンコばかりしている。

おかん(お母さん)がかわいそう。

 

突然違う父親が家に住むようになった。

あんな男が俺の父親かい?家に帰るのイヤや。

 

おかんが男と夜遊びばかりしよる。

おとんもおかんも浮気してお互いに

そ知らん顔しとる、あほか?

 

父親がヤクザ・・・・クレームつけては「たかり」をしてる。

俺、子供の頃から親と万引き一緒にしてたん・・・。

 

先生の言うことと

やってることが違うねん。

禁煙さしたかったら説教するときぐらい自分もタバコすうな。

なあ、おっチャン?

 

挨拶しろって・・・。

自分ら先生同士しないで俺たちにしろって・・・。

おっちゃん、あいつら おかしくない?


あいつ、おれをいつも見んようにしとる。

避けて逃げとうるから余計にむかむかくるねん。

自分達を避けるひ弱な教師・・・・おっちゃん、どう思う?

 

おっちゃん、おれなあ、

家族団欒で夕御飯を食べたことがないねん、とポツリ。

 

アーぁ、なにも答えられへん。

答えられるはずがない。

ただ黙って聴いているだけ。

彼らの気がすむまでひたすらに聴く、聴く。

 

やがて 夜が明けてくる・・・・。

「おっちゃん ありがとう。また来るわ・・・」

 

 

少年院

こんなやり取りがしばらく続いた。

やがて 何人かの少年の顔を見なくなった。

 

他の子に聞くと、「少年院に行った」と言う。

なぜかその時私は、「逢いに行ってやろう」と思った。

 

しかし、少年院という所は、第3者の人間は、面会ができない。

どうにかならないかなと思っていると、

知り合いの保護司の御縁で、

少年院に慰問に行く機会を得た。

 

初めて入る少年院・・厳しい所だ。

法を犯した若い彼らを更正させるためではあろうが

勝手気ままに過ごしてきた彼らにしてみたら

天と地の差だろう。

当然私語厳禁、不平不満などもってのほか。


その中で、私の知っている子が5人いた。

少年院内では非行少年と個人的に話をすることを一切禁止されていたので

2人は私と目を合わせなかった。

 

3人の少年達が「あっ」と私に気づいた。

 

「何で おっちゃんが ここに おんねん?」

明らかに頭の中で錯乱し始めている表情をしていた。


そりゃあそうだ、両親が面会にくるわけでもない。

少年院に入所していることぐらいなんとも思っていない親、

自分達も経験があるから・・・。

先生が尋ねてくるわけでもない。

 

それなのに自分たちが無茶をしてきた

コンビニの店長がここへなんで来てるのやろう?

 

ある機会を見つけて

その中の1人に近寄っていった。

目と目が合い、何も言わず

茶髪から丸坊主にされたかわいい頭をなでてやり

「逢いにきたぞ!」そっと肩を抱いて手を握った。

 

すると、その子は

私を見上げて「おっちゃん?」とだけ言い

ぐっと力強く握り返してきた。

 

こみ上げる思いをこらえるのに

必死だった。

 

話を聴く。相手を認める。

彼らは少年院から出てきた。

 

「おっちゃん、何で来てくれたんや!?」

私の所へ1番最初に出所の挨拶に来てくれた。

 

そこからだった。彼らと何でも話し合えるようになれたのは・・。

あるときは「シャコタン」といわれる

暴走族Gの改造車に乗り込み

駐車場で夜中まで喋りこんだ。


でも、前述のように

いつも驚くような話ばかりなので、

私は何も答えられない。

とにかく、ただ聴いているだけの毎日だった


でも、彼らは前にもまして夜中中

ずっと話し続けた。

明け方近くになると

「おっちゃん、ありがとう」と言って、帰って行くのだ。

 

彼らの中ではスッとしたのだろう。

親の感情のおもむくままに当たり散らされ、

愛情を注がれずに育ってきている。

 

かまって欲しい、目立ちたい、受け止めて欲しい、聞いてほしい。

 

鬱屈した思いを彼らは抱えきれず

暴走に変えて、信号を発していたのだった。

 

かまってもらえない寂しさがあるのだろう。

私がちょっとしたことを褒めてやると、彼らはものすごく喜んだ。

 

コンビニ荒らしをされた私もそれまで被害者ではあったが

実は本当の被害者であり、社会の犠牲者だったのは、

彼らだった。

彼らが悪いのでは決してなかった。

親の生き方に深い問題があると感じた。

 

「今おかれている背景を知り

本気で真正面から向かい合えば彼等は心を開いてくれる」

 

その思いがいつしか確信に変わった。

 

彼らの目は、特攻的な目から、穏やかな目に変わっていった。

万引きをする雰囲気がだんだん無くなり

店の周辺も穏やかになっていった。


あるときに番長の翔と話す機会があった。

明け方まで暴走していて

その2時間後には土木作業員。

しっかりと仕事をする顔つきに変わって

店にお客として入ってきたのだった。

 

表情を切り替え、態度を変えて

仕事をする姿勢が現れていた。

 

「こいつ、しっかりしとるな」と内心つぶやく。

「眠くないか?」

「いや大丈夫や。仕事やからな、おっちゃん。」と表情がいい。


「近所の人が眠れん、と言って迷惑してはる。

あんまり迷惑かけんようにせいや。」

とほのぼのと言葉が出た。

やっと 翔に自然に話すことができた。


「おっちゃん、わかった。もうここでは 走らせへん。」と

ニコっと笑って仕事に行ったのだった。

 

その間1年8ヶ月振り返れば

私の中でも 何かが変わりつつあった。

目線を合わせて「聴く」スタンスが自然に修得されていった。

相手を受け入れることが、できるようになっていた。

 

従業員の戦力化が加速度的に

うまくいきはじめたのもこの頃からだ。

彼らも話を聞いた私は

人それぞれ家庭環境が色濃く人格形成に影響していると知り

個々の従業員達の生活背景を知るようになった。

意見も積極的に聞くようになっていた。

店の従業員と喋る時も、

話の内容を受け入れて聴けるようになっていたのだった。

 

14年のコンビニ事業を終えた時には

パート・アルバイト総従業員の一人当たりの平均在職期間が2年4ヶ月と

非常に高い期間在職してくれる結果が得られた。

それには、暴走族である彼らと心が通い合えた時の

体験が非常に大きいと感じている。

 

その後、暴走族の彼らはどうしたかって?

 

暴走族同士が夫婦になり

「おっちゃん これ俺の子供やねん、あの時は悪かったなあ」と

赤ん坊を抱いて私に見せにくるようになった。

 

この一言ですべて許してあげようという気持ちにさせられる。

私の中に被害を受けたという気持ちは消え失せ

学ばせてもらったという気持ちが芽生えていた。

 

相手の話を聴くということ。

聴いて、認めるということ。

 

彼らから、尊い贈り物をもらった。

 

縁尋機妙・感謝合掌

 

 

 

 コーチングを始めて振り返ってみれば・・・・

 

40歳の働き盛りに

「何してんの?」

「そんなアホにかまうなや」

「コンビニなんかやめたら・・・」

と嘲笑されながら、孤独感をあじわった時のことが

今、活きているなあと思う。


人は、聞いてもらい、認めてもらい

受け入れてもらう中で心を開いていくのだなあ・・・・、と。


「人生に無駄な経験はひとつもない」

 

私たち全ての人間は天に生かされているのだと・・・・今思う。

あの時があるから今コーチをしている。

 

人は誰しも自ら解決しなければならない大きな困難にぶちあたる。


私にとって41歳の人生の最も大切な時期に

失敗や挫折を経験したことで

自分の弱さや情けなさと正面から向き合い、葛藤してきた。

暴走族の少年達を恨むような気持ち等サラサラない。

それが、今コーチングに活かされているのだから。


困難を自分で解決していく中で「個」が強くなっていく。

人間が生きていく上では非常に大切なことだ。

すべてありがとう。

すべての縁をつないでいく生き方 実に妙なり」

 

「縁尋機妙 感謝合掌」という言葉で私の話を終わらせていただく。